2013年3月14日木曜日

不可視光線 序 <6>


「ヨシよ。おまえはどうだ。どっちの櫻が好きだ」

芳雄より大分先で振り返った十郎は、
芳雄が地面にしゃがみ込んで居るのへ、首を傾げた。

芳雄は、先刻十郎が投げて捨てた小石を拾って、歩み寄って来た。
其の瞳は、面白い悪戯を思いついた時の子供のように光って居る。

「なんだなんだ、なにがしたいんだ」
「いや、賭けてみたくてね」
「賭け事は好きじゃないな」

「そう言わずに参加してくれ。
そうでなきゃ、おれは多分、明日にでも首を括りそうなんだよ」

得意の脅し文句。
芳雄の笑顔に騙されて、ついつい乗って仕舞う秘密の遊び。

 十郎は、観念して首を竦めた。
雨は、そろそろ小雨に成って来て居る。

「……良いだろう。参加するよ。何に、何を賭けるんだ?」
「此の小石をね」

「小石とは、また安上がりだな」
「此の雨が止む前に、此の小石をおまえが受け取るか否か、だ」

芳雄は、存外に真摯な瞳をして居た。
其れを見て、笑おうとして居た十郎の瞳が揺れる。
十郎は、水を含んで重たくなった前髪を掻き上げて、芳雄を見た。

「……受け取って、おれに何か得が在るのか?」
「得かどうかは判別しかねるな。其れはおまえが決めれば良い」
「……」

 芳雄は、濡れた小石を掌に載せて、十郎の方に差し出した。

「おれは、おまえが此の小石を受け取る方に賭けよう。
もしおれが此の賭けに勝ったら、おまえには嫁に来てもらうぞ」

「……また勝手な事を言って……」

「勝手かどうかは自分の胸に聞けば良い。さあ、おまえ次第だ」

十郎は、懐手をしたまま動かない。
空を見上げれば、雨雲の切れ目から青空が覗いて居た。
雨は、程なくして止むだろう。

「……此の賭けに負けたら、遠慮無く首を括らせて貰うよ」
「おまえがそうしたいと言うのなら、存分にやって貰いたい所だが……」

十郎は、一つ溜息を吐いた。
芳雄の目が余りに真摯で、段々哀れに成って来る。
十郎は、懐から腕を出して、へばりつく袖を引っ張った。

「其の前に、一つだけ」
「なんだ」
「今年の染井吉野は、綺麗だろうかね」
「……染井吉野は嫌いなんだろう」

「嫌いだとは言っていないよ。
もう少し静かな櫻が好きだと云うだけさ。
……けれども、もう何処を探したって彼の櫻は見つからないんだ。
其れが分かったから、時代に順応する事にしたんだよ」

 十郎は、そう言って寂しげに微笑んだ。
十郎のこだわる「彼の櫻」が、一体どんな物なのか、芳雄は知らない。
けれどきっと、それは十郎にとって、とても大切な思いでなのだろう。
だからこそ、十郎は語りたがらないのだ。



つづく


※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)




0 件のコメント:

コメントを投稿