2013年2月28日木曜日
不可視光線 序 <4>
十郎は再び歩を進めた。
其の隣を、芳雄が歩く。
暫く無言で歩いた後、芳雄は其処に転がって居た石を蹴った。
石は二度跳ねて、ころころと転がり、
申し訳なさそうに止まった。
石の行方を目で追って居た十郎は、
石があまりに申し訳なさそうに座って居るのへ、
哀れに成ったのか、少し早足になって石に追いつき、
しゃがみ込んで拾い上げた。
地面に、ポツリと雫が落ちる。
雫は、徐々に数を増して行くようだった。
「ああ、矢張り降って来たか」
石を手の中で転がしながら、十郎は空を見上げる。
落ちて来た雫が、冷たく頬を打った。
十郎は、少しだけ目を細めて、立ち上がった。
「……雨に濡れた櫻というのが好きでな」
「見たところ、未だ蕾のようだが」
「ああ、そうさ。だから期待して居るんだ。
満開の頃に、一雨来ないかとね」
芳雄は、歩き出す十郎の背を眺め、歩き出さなかった。
十郎は振り返らない。
雨はとうとう、本降りに成って来た。
「ヨシよ」
十郎の声は、雨音に掻き消されて良く聞こえない。
「おれは、後悔なぞする積もりは無いんだよ」
「……」
「だから、何度だって言えるんだ。
云って仕舞えば、其れはおれが口にする言葉の中で、
唯一意味の在る言葉だ」
芳雄は、不思議と明確に受け取れる十郎の言葉を、
此れ以上聞かない為に耳を塞いだ。
つづく
※2000年3月 執筆
(2007年2月22日発行 個人誌より転載)
2013年2月21日木曜日
不可視光線 序 <3>
十郎は、芳雄をちらりと見て、
「例えば、おまえとおれの着物が共に藍染めであるとかな」
「……それに、何か意味があるのか」
「何も、口にすること全てに意味が無くては成らない事は無いさ」
芳雄は、一言短く「そうか」と呟いたきり、他には何も言わなかった。
十郎は、そしてつと立ち止まった。芳雄が、数歩先で振り返る。
「十郎?」
「ヨシよ」
十郎は、芳雄の言葉を遮って、言った。
「……ヨシよ。おれは、奇遇だろうがそうでなかろうが構わないんだよ」
「……」
「おまえに出会ったのはおれで、おれに出会ったのはおまえで、
あの日に他に誰も居なくて、風が強かった」
「……」
「なあ、おまえ。
あの瞬間に、おれ達はおれ達以外の何を見れば良かったんだろうなあ。
何を見て居たら、今が変わったのだろう」
「……十郎」
「きっと、何も変わらなかったさ」
自問に自答するようにそう言い切って、十郎は目を伏せた。
そして、まるで涙を耐える如くに堅く目を閉じて、
再び開いた瞳には、不可思議な影と光が共存して居るようだった。
そして矢張り、十郎は笑わなかった。
つづく
※2000年3月 執筆
(2007年2月22日発行 個人誌より転載)
2013年2月14日木曜日
不可視光線 序 <2>
未だ花開かない櫻の木を見上げてみた。
どうせ此の道も、櫻の開花と同時に酒宴の海に沈む。
今の内に歩いておこうと云った気積りで、
気晴らしがてら散歩をして居た。
空は、世辞にも晴天とは言い難い。
どんよりと灰色で、頭上にずっしりと覆い被さって居る。
今にもポツリと来そうな空を、櫻の枝の隙間から見上げて、
十郎は鼻で吐息した。
母を亡くしたのは、櫻の枝から雪が落ちる頃であった。
父を亡くしたのは、蕾が柔らかくなる頃であった。
兄を亡くしたのは、はて、其の枝から毛虫が落ちる頃であったろうか。
そんな具合に、十郎の暦は全て、櫻を中心に巡って居る。
そういえば、彼と出会ったのは、五分咲きの頃、櫻の木の下であった。
何時の頃からか、何の因果だったかは定かでないが、
気付けば何時も此の植物の事を考えて居た。
「十郎」
不意に呼ばれて顔を上げると、其処には見慣れた顔が笑って居た。
十郎が此の笑顔に初めて出会った頃は、
はらはらと五分咲きの花弁が散って視界を邪魔した。
十郎はそして、今と同じように笑い返さなかった。
「散歩か」
「ああ」
「邪魔でなければ並んで歩きたいが」
「構わないが、ゆっくりだぞ」
「おれも今、丁度ゆっくり歩きたいと思って居た。奇遇だな」
「成る程、本当だ」
十郎は、にこりともせずにそう答えて、歩き出した。
「奇遇だろうかね」
さくっさくっと足元の土を蹴りながら、芳雄が嘯く。
「奇遇だろうか」
繰り返して、芳雄は隣を歩く十郎を見た。
其れを受けて、
「……散歩の事か」
「其れもそうだが」
「なに」
「いや……」
芳雄は、一度口を噤んで、懐手をした。
つづく
※2000年3月 執筆
(2007年2月22日発行 個人誌より転載)
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