2013年2月14日木曜日

不可視光線 序 <2>


未だ花開かない櫻の木を見上げてみた。
どうせ此の道も、櫻の開花と同時に酒宴の海に沈む。
今の内に歩いておこうと云った気積りで、
気晴らしがてら散歩をして居た。

 空は、世辞にも晴天とは言い難い。
どんよりと灰色で、頭上にずっしりと覆い被さって居る。
今にもポツリと来そうな空を、櫻の枝の隙間から見上げて、
十郎は鼻で吐息した。

 母を亡くしたのは、櫻の枝から雪が落ちる頃であった。
父を亡くしたのは、蕾が柔らかくなる頃であった。
兄を亡くしたのは、はて、其の枝から毛虫が落ちる頃であったろうか。

 そんな具合に、十郎の暦は全て、櫻を中心に巡って居る。
そういえば、彼と出会ったのは、五分咲きの頃、櫻の木の下であった。
何時の頃からか、何の因果だったかは定かでないが、
気付けば何時も此の植物の事を考えて居た。


 「十郎」

不意に呼ばれて顔を上げると、其処には見慣れた顔が笑って居た。

 十郎が此の笑顔に初めて出会った頃は、
はらはらと五分咲きの花弁が散って視界を邪魔した。
十郎はそして、今と同じように笑い返さなかった。

「散歩か」
「ああ」
「邪魔でなければ並んで歩きたいが」

「構わないが、ゆっくりだぞ」
「おれも今、丁度ゆっくり歩きたいと思って居た。奇遇だな」
「成る程、本当だ」

十郎は、にこりともせずにそう答えて、歩き出した。

「奇遇だろうかね」

さくっさくっと足元の土を蹴りながら、芳雄が嘯く。

「奇遇だろうか」

繰り返して、芳雄は隣を歩く十郎を見た。
其れを受けて、
「……散歩の事か」

「其れもそうだが」
「なに」
「いや……」

芳雄は、一度口を噤んで、懐手をした。



つづく



※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)

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