2013年3月21日木曜日

不可視光線 序 <7>



「……なあ、ヨシ」
「うん」
「一緒に探して呉れないか」

芳雄は、直ぐには其の言葉が飲み込めずに、問うように十郎を見た。

十郎は、其の瞳を真っ直ぐに見詰め返して、
「一緒に彼の櫻を探して呉れたら、おれは一生おまえの側に居よう」

「……」

「そして何時か見つけたら、おれはおまえと首を括ってもいいんだよ」
「……」
「……尤も、其れはもうおれの記憶の中にしか、存在しないけれど」

 そう言って、ゆっくりと手を伸ばす。
十郎が石を受け取ると、其れを待って居たように雨が止んだ。
芳雄は、十郎をじっと見詰めながら、

「もう無いとか一緒に探そうとか、相変わらず訳の分からない男だな」
「……其れは此方の台詞だ。
石ころ一つで、他人の人生を買いやがって」

「石ころ一つ?」

芳雄は、心外だという顔をして、十郎の手を取った。
其の手から、石が滑り落ち、二人はそっと指を絡めた。

「おまけにおれじゃ、不服と云う事か?」
「……其の通りだ」

やれやれと吐息する十郎に、芳雄はがくりと肩を落とす。
十郎は、其れを見てふっと笑った。

「おれはな、ヨシ」
「……なんだ」
「おまえだけは誰にも譲れないんだよ」

十郎は、芳雄の手を引きながら歩き出した。

「……つまりな」

「……」

「おまえは『あの時』、おれと櫻と、
どちらに見惚れたのかと訊いたんだよ」

 そう言った十郎の顔は微かに紅潮して、
芳雄は十郎の手を握り返した。

雨に濡れた手は冷たく成って居て、其れでも何か、
頬と胸の辺りだけはたまらなく熱いので、
芳雄は十郎の方を見ずに、前ばかり見て歩いて居た。


 さて、そしてまた風が吹いた。


春が来る。


おわり


H12.3.20-H12.3.21

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)

2013年3月14日木曜日

不可視光線 序 <6>


「ヨシよ。おまえはどうだ。どっちの櫻が好きだ」

芳雄より大分先で振り返った十郎は、
芳雄が地面にしゃがみ込んで居るのへ、首を傾げた。

芳雄は、先刻十郎が投げて捨てた小石を拾って、歩み寄って来た。
其の瞳は、面白い悪戯を思いついた時の子供のように光って居る。

「なんだなんだ、なにがしたいんだ」
「いや、賭けてみたくてね」
「賭け事は好きじゃないな」

「そう言わずに参加してくれ。
そうでなきゃ、おれは多分、明日にでも首を括りそうなんだよ」

得意の脅し文句。
芳雄の笑顔に騙されて、ついつい乗って仕舞う秘密の遊び。

 十郎は、観念して首を竦めた。
雨は、そろそろ小雨に成って来て居る。

「……良いだろう。参加するよ。何に、何を賭けるんだ?」
「此の小石をね」

「小石とは、また安上がりだな」
「此の雨が止む前に、此の小石をおまえが受け取るか否か、だ」

芳雄は、存外に真摯な瞳をして居た。
其れを見て、笑おうとして居た十郎の瞳が揺れる。
十郎は、水を含んで重たくなった前髪を掻き上げて、芳雄を見た。

「……受け取って、おれに何か得が在るのか?」
「得かどうかは判別しかねるな。其れはおまえが決めれば良い」
「……」

 芳雄は、濡れた小石を掌に載せて、十郎の方に差し出した。

「おれは、おまえが此の小石を受け取る方に賭けよう。
もしおれが此の賭けに勝ったら、おまえには嫁に来てもらうぞ」

「……また勝手な事を言って……」

「勝手かどうかは自分の胸に聞けば良い。さあ、おまえ次第だ」

十郎は、懐手をしたまま動かない。
空を見上げれば、雨雲の切れ目から青空が覗いて居た。
雨は、程なくして止むだろう。

「……此の賭けに負けたら、遠慮無く首を括らせて貰うよ」
「おまえがそうしたいと言うのなら、存分にやって貰いたい所だが……」

十郎は、一つ溜息を吐いた。
芳雄の目が余りに真摯で、段々哀れに成って来る。
十郎は、懐から腕を出して、へばりつく袖を引っ張った。

「其の前に、一つだけ」
「なんだ」
「今年の染井吉野は、綺麗だろうかね」
「……染井吉野は嫌いなんだろう」

「嫌いだとは言っていないよ。
もう少し静かな櫻が好きだと云うだけさ。
……けれども、もう何処を探したって彼の櫻は見つからないんだ。
其れが分かったから、時代に順応する事にしたんだよ」

 十郎は、そう言って寂しげに微笑んだ。
十郎のこだわる「彼の櫻」が、一体どんな物なのか、芳雄は知らない。
けれどきっと、それは十郎にとって、とても大切な思いでなのだろう。
だからこそ、十郎は語りたがらないのだ。



つづく


※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)




2013年3月7日木曜日

不可視光線 序 <5>


雨に濡れた髪が、重たく被さって視界を邪魔する。
まるで、彼の日散った花弁の如くだ。

「ヨシよ。おれはな、誰にも譲れないんだよ」

芳雄は、知らぬ間に自分の足が歩き出して居る事に気付いた。
遠く離れたかと思った十郎は、存外に近くに居て、
芳雄を見ると、少しだけ驚いたような顔をした。

 しかし、直ぐに又目を伏せて、そして十郎は立ち止まった。

「なあ、こんな櫻なら、幾らだって譲ってやるさ」

芳雄は、十郎を直ぐ間近に見て、手を伸ばした。
十郎は、気付かぬ振りで櫻の木を見上げる。

「……此処の櫻は、何と云ったかな」
「染井吉野」
「ああ、そうだった」

十郎は、芳雄が手に触れて来るのへ、視線で応えた。
其の手には、小石を握って居る。

十郎は続けた。

「櫻と云って、そう言うのが憚られる位に情けない、
類似品の姉妹品だ」
「……」

「イミテーションでもレプリカでもない本物の櫻は、
こんな風に下品に媚びて見せたりしない物だ」

「本物の櫻?」

「尤も、今は櫻と云えば染井吉野に成って仕舞ったが」

 芳雄の手をすり抜けて、十郎は小石を投げた。
濡れた地面に落ちた小石は、水玉模様になって、
やがて地面と同じ色に落ち着いた。

 雨は徐々に激しくなる。
すっかり頭から濡れそぼって、首の辺りを幾筋も水が流れて行った。
十郎は、高い位置で結んでいた髪を解き、

「なあヨシよ。
おれがどうして、未だ開かない蕾の櫻を見に来たか、分かるか」

「……いいや」

芳雄が答えると、十郎は前髪から水を滴らせながら、
ほんの微かだけ微笑んで見せた。

「其れはな、此の木にやがて咲くだろう満開の花より、
何時だったか庭の木に咲いた、
申し訳程度しか花をつけない櫻の方が、好きだからさ」

 十郎は、其の儘再び歩き出す。

着物がぐっしょりと濡れて、体にまつわりついた。
芳雄は、其れを鬱陶しそうに引っ張って、困ったように十郎を見る。

雨の中、傘も無い。

其れでも十郎は歩いて行く。
蕾だけを誇らしげに抱えた枝々を、満ち足りた風情で眺めながら。

 そうして芳雄は、止めれば良いのに追い掛けて仕舞う。
其れは惚れた弱みとでも云おうか、
自身の管轄外で行われる事だから仕方ない。


つづく


※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)

2013年2月28日木曜日

不可視光線 序 <4>


十郎は再び歩を進めた。
其の隣を、芳雄が歩く。

暫く無言で歩いた後、芳雄は其処に転がって居た石を蹴った。
石は二度跳ねて、ころころと転がり、
申し訳なさそうに止まった。

石の行方を目で追って居た十郎は、
石があまりに申し訳なさそうに座って居るのへ、
哀れに成ったのか、少し早足になって石に追いつき、
しゃがみ込んで拾い上げた。


地面に、ポツリと雫が落ちる。
雫は、徐々に数を増して行くようだった。

「ああ、矢張り降って来たか」

石を手の中で転がしながら、十郎は空を見上げる。
落ちて来た雫が、冷たく頬を打った。

 十郎は、少しだけ目を細めて、立ち上がった。

「……雨に濡れた櫻というのが好きでな」
「見たところ、未だ蕾のようだが」

「ああ、そうさ。だから期待して居るんだ。
満開の頃に、一雨来ないかとね」

芳雄は、歩き出す十郎の背を眺め、歩き出さなかった。

 十郎は振り返らない。
雨はとうとう、本降りに成って来た。

「ヨシよ」

十郎の声は、雨音に掻き消されて良く聞こえない。

「おれは、後悔なぞする積もりは無いんだよ」
「……」

「だから、何度だって言えるんだ。
云って仕舞えば、其れはおれが口にする言葉の中で、
唯一意味の在る言葉だ」

芳雄は、不思議と明確に受け取れる十郎の言葉を、
此れ以上聞かない為に耳を塞いだ。


つづく



※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)

2013年2月21日木曜日

不可視光線 序 <3>


十郎は、芳雄をちらりと見て、

「例えば、おまえとおれの着物が共に藍染めであるとかな」
「……それに、何か意味があるのか」
「何も、口にすること全てに意味が無くては成らない事は無いさ」

芳雄は、一言短く「そうか」と呟いたきり、他には何も言わなかった。


 十郎は、そしてつと立ち止まった。芳雄が、数歩先で振り返る。

「十郎?」
「ヨシよ」
十郎は、芳雄の言葉を遮って、言った。

「……ヨシよ。おれは、奇遇だろうがそうでなかろうが構わないんだよ」

「……」

「おまえに出会ったのはおれで、おれに出会ったのはおまえで、
あの日に他に誰も居なくて、風が強かった」

「……」

「なあ、おまえ。
あの瞬間に、おれ達はおれ達以外の何を見れば良かったんだろうなあ。
何を見て居たら、今が変わったのだろう」

「……十郎」

「きっと、何も変わらなかったさ」

 自問に自答するようにそう言い切って、十郎は目を伏せた。
そして、まるで涙を耐える如くに堅く目を閉じて、
再び開いた瞳には、不可思議な影と光が共存して居るようだった。

そして矢張り、十郎は笑わなかった。


つづく


※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)

2013年2月14日木曜日

不可視光線 序 <2>


未だ花開かない櫻の木を見上げてみた。
どうせ此の道も、櫻の開花と同時に酒宴の海に沈む。
今の内に歩いておこうと云った気積りで、
気晴らしがてら散歩をして居た。

 空は、世辞にも晴天とは言い難い。
どんよりと灰色で、頭上にずっしりと覆い被さって居る。
今にもポツリと来そうな空を、櫻の枝の隙間から見上げて、
十郎は鼻で吐息した。

 母を亡くしたのは、櫻の枝から雪が落ちる頃であった。
父を亡くしたのは、蕾が柔らかくなる頃であった。
兄を亡くしたのは、はて、其の枝から毛虫が落ちる頃であったろうか。

 そんな具合に、十郎の暦は全て、櫻を中心に巡って居る。
そういえば、彼と出会ったのは、五分咲きの頃、櫻の木の下であった。
何時の頃からか、何の因果だったかは定かでないが、
気付けば何時も此の植物の事を考えて居た。


 「十郎」

不意に呼ばれて顔を上げると、其処には見慣れた顔が笑って居た。

 十郎が此の笑顔に初めて出会った頃は、
はらはらと五分咲きの花弁が散って視界を邪魔した。
十郎はそして、今と同じように笑い返さなかった。

「散歩か」
「ああ」
「邪魔でなければ並んで歩きたいが」

「構わないが、ゆっくりだぞ」
「おれも今、丁度ゆっくり歩きたいと思って居た。奇遇だな」
「成る程、本当だ」

十郎は、にこりともせずにそう答えて、歩き出した。

「奇遇だろうかね」

さくっさくっと足元の土を蹴りながら、芳雄が嘯く。

「奇遇だろうか」

繰り返して、芳雄は隣を歩く十郎を見た。
其れを受けて、
「……散歩の事か」

「其れもそうだが」
「なに」
「いや……」

芳雄は、一度口を噤んで、懐手をした。



つづく



※2000年3月 執筆

(2007年2月22日発行 個人誌より転載)